ほっと一息

傘寿に99座達成

 100名山の五竜岳2814mをやっつけた。「それこそ大地から生えたようにガッチリしていて、ビクとも動かないといった感じである。これが五竜岳だ」と案内書にある。鎖場あり、岩登りあり、80歳の老躯には酷しい山だった。五竜小屋を早朝5時に出発、寝起き直後で朝飯抜きのためか体が動かない。小屋の主人から岩場と鎖が多いのでストックは持ってゆかない方が良いと言われ推進力不足だ、靴幅で一歩一歩前進あるのみ。上り始めて15分後に日の出、素晴らしい雲海のかなたから曙光がさしてきた。山上から朝日を拝むのはこれが最後か。1時間のコースタイムを1.5時間でようやく登頂を果たした。雲海の上、360度山々が連なる。素晴らしい晴天だ~目の前に鹿島槍の2峰が聳え、西側には剣岳が屹立~立山連峰の美しい山容が連なる。別山・大汝・雄山・浄土山、そしてやや遠くに薬師岳・黒部五郎・・・南側遠くには穂高連峰や槍ヶ岳が見える。東には南アルプスの峰々、八ヶ岳の右側に富士山も遠望できる。左に目を転じると戸隠・高妻・妙高・火打・雨飾山、そして白馬3山・・・全部この足で登頂を果たした山々だ。感動・感激・感謝~3感王だ。妻も共に75山を達成、良く一緒に登ってくれたと想う。途中、八方池山荘で同室だった若夫婦に会い「鉄人ですね、パワーをください」と握手を求められたのは嬉しかった~! 


三代同舟

孫2人は幼稚舎2年生、龍一・圭一の親2人は小~大学まで16年間塾通い、Zeeは大学4年間だけながら塾ボート部の大先輩、全日本エイト慶応3連覇の黄金時代にならしたベテランです。龍一・圭一ファミリーが昨年の水上運動会でボート漕ぎの面白さを体験し、今年も親子で参加することに・・・Zeeも誘われて60年ぶりの戸田ボートコース行きとなりました。孫に魅かれて3世代そろってのボート漕ぎ(ナックル6)が実現しました。

ストロークペアーの孫2人のオールに合わせるのは大変、6本のオールはバラバラながら無事に300mを漕ぎ終わりましたが、コックス席の妻はスピードが出てこわかったとか???


能登半島2題

久しぶりに妻と旅に出ることが出来た。冬の能登半島、雪道ではないかと心配したが道端の所々に残っているだけ、300kmドライブを楽しんだ。ボラ獲り櫓(やぐら)~海上に櫓を組み海中に網を張る~櫓の上で見張りをし網にボラが入ったら口を締めるという原始的な漁法だそうだ~ノアの方舟の西暦前の漁法の由。遠くに雪をかぶった立山連山が見え、のどかな風景を楽しめた。


輪島温泉に泊まり、輪島の朝市へ。漁師の妻達の素朴な市場~15cmはあるカレイ7匹で1000円、おまけにハラワタを取り洗って持帰り易くパッケージしてくれた。ノドクロ3匹で1000円也。越前ガニの小型が4匹で1000円、中型が3000円、足が1本とれたのをおまけしてくれた。信じられないサービスだ。運が良かったのか、小型も中型も譬えようがないほど美味しかった。旅館でカニを頼むと1ぱい6000円と言われたので止めたが、大正解。帰りの荷物が重いこと・・・家で湯がく手間はかかったが、幸せ気分満杯の旅であった。


懐かしの高野山 

 10月の3連休に大阪で開催されたFPフェアーに参加する傍ら、高野山参詣を思い立ち、学生時代にボート合宿を共にした芦屋在住の友人に声をかけたところ快く同行をしてくれた。大阪も5~6年前とは様変わり、1人ではどこをどう行って良いかロスタイムが多い~友人が朝8時前にホテルまで迎えに来てくれたので大変助かった。

難波駅から南海電車で今話題の真田信繁(幸村)が蟄居させられた九度山(くどやま)を通り極楽橋へ、ケーブルカーで高野山に着いたのは10時頃だった。標高900mという、軽井沢とほぼ同じ高度にびっくり。ここは南北1km東西5kmの台地、弘法大師空海が約1200年前にこの地を見つけ修行の道場を開いたのだそうだ。修行道場とは言え何でこんな寒いところを選んだのだろうか。能登半島の総持寺、福井の永平寺、寒さは修行に欠かせないのだろうか。

 高野山と聞くと、明るい日差しの下で家族皆が楽しげに笑い2~3歳の妹が泣いた情景が蘇る。妹は周囲で笑いが生じると「自分が笑われたと思い込んで泣く」という妙な癖があった。自分は小学校に上る前だったと思うが、今回は「楽しい思い出の場所」を探す旅でもあった。

 奥の院の弘法大師御廟でゆっくりお参りをし、信長・秀吉・光秀・光成の墓参りをする。赤い帽子をかぶったお地蔵さんがあちこちにあり、可愛らしい。金剛峰寺を拝観し、壇上伽藍へ。金堂の裏手、根本大塔の辺り・・・来たことがあるような気がした。拾うと縁起が良いとされる3本松の木が近くに立っている。この辺かな~親父とお袋の笑

浮かんできた。



ハートブレイク後の初登山

 百名山98番目は北海道の羊蹄山、標高1893mとそう高くないが標高差は1663m、コースタイムは約9時間半と長い。蝦夷富士と言われる美しい山、ニセコスキー場の正面に聳える憧れの山である。

半年前にドクターからジョギング・ゴルフ・登山・水泳~何をしても良いと言われてほっと一息。リュックの背負いバンドが入植したペースメーカーに当るので、肩にパットを入れての登山だ。もう少し楽な山を選ぶべきだったが、百名山の完登に向かってまっしぐら。台風で欠航便が出る中、1日がかりで札幌へ、お蔭でマロママ様と久しぶりにお会いできた。お元気そうで何より、万事塞翁が馬である。

台風一過で麓に雲海がたなびくも、頂上がくっきり見える晴天に恵まれた。早朝5時20分、樹林帯を歩きはじめる、時々視界が開けると雲海とニセコアンヌプリの姿が美しい。この雲海を眺めるのが山登りの大きな楽しみの一つだ。10時半に漸く9合目に到着、木がなくなり一帯は蝦夷の花々群に、少し上ると大きなお釜が現れた。頂上は半周ほど先、時々心臓の鼓動と肩パットが気になったが11時半に無事登頂成功、ばんざ~い!

山登りは下りの方がきつい、足裏が痛くなり膝はがくがく~ここ数年は下り始めて1~2時間すると膝が痛みだしたが、今回は最後まで痛みが出なかった。

夕方5時に無事到着。感謝の念と喜びがあふれでる。


~は来ぬ♪

 新しいコンクリートだらけの街「みなとみらい」も表に出ると蝉の声が賑やかだ~温暖化のせいか熊蝉の声も聞こえる。ひらひらと青すじアゲハやじゃこうアゲハも飛んでいる。7月の中ごろにはカネタタキがひとしきり泣いていた。8月3日は恒例の花火大会、みなとみらいは大混雑するが、我が家にも浴衣姿の孫が可愛い姿を見せてくれ、ベランダから華やかなお祭りを楽しんだ。

 8月は妻の幼児教室の合宿が鵠沼の実家で催される。暑い中で庭の草取りをさせ、夕方海岸で思い切り遊ばせる。波にさらわれぬよう見張り役とお助けマンが私の役目~この季節は不思議と波が荒く引き潮が強い。水も冷たく、体がキュッと引締まるが、ペースメーカーを入れた身体が果してもつものか。加えて山の神のお誕生月だ。お嫁さんのマロ姫が少し早目のお誕生会を企画したようだ、孫を入れて総勢7人が急に現れ大パーティ~楽しい夏の夜でした。

Happy birthday to you

 変顔大会



フィヨルドの水は甘かった!

毎年1~3月にする海外旅行はどのプランも都合がつかず今年は諦めていたが、どういう風の吹き回しか、妻が6月なら行けると言い出し、急遽プラン探しとなる。1~3月プランでは目にしない「北欧4か国」に魅かれた、映画「バイキング」が思い出される。北欧と言えばフィヨルド、ノーベル賞のオスロ・ストックホルム、森と湖の街ヘルシンキ等、この目で見たい所だらけだ。

訪れたコペンハーゲン・ベルゲン・オスロ・ストックホルム・ヘルシンキはいずれも北緯60度近辺、北海道より10度以上北にあり、まだ寒いのではと思ったが、日本の4月だろうか。9日間すべて天気に恵まれ、長袖シャツに薄い上着が丁度よい爽やかな日々だった。

フィヨルドは3日目、ノルウェーの古都ベルゲンからソグネフィヨルド最深部の街フロムへ向かう道で土砂崩れがあったが、添乗員の機転でバスから列車に切替え憧れのフィヨルドクルーズができた。フィヨルドに面したホテル到着は8時過ぎになったがお日様は10時過ぎまで沈まない、食事を終えてもまだ明るい。ソグネフィヨルドの周囲の山は標高700~1000mだろうか、船首で冷たい風を受けながら眺める高い山々の頂には雪が残り、何本もの滝がフィヨルドへ流れ落ちる。海の深さは最深-1308mという。


ふっと「ここは海なのだ、この海水はしょっぱいのかな~」試してみたい気持がわいた。下船後、妻と"海辺"へ直行、手ですくい舐めてみる~しょっぱいどころか甘みを感じる。塩味を期待するが、残念ながら塩辛さは全くない。外海から約200kmも入り込んでいる上に、周囲の高い山々から雪解けの水がふんだんにそそいでいる。スカンディナビア半島の滋養をたっぷり含んだ神水で元気をもらった。

早慶レガッタ、慶應の5連勝

4月17日(日)妻からたたき起こされた。息子ファミリーが浅草寺へのお礼参りと早慶レガッタの応援に行くと張り切っているとのこと。風邪が治りきらず、もう1日静養すれば元気になりそうな気がするが、「孫にひかれて浅草寺参り」と「早慶レガッタ応援」となった。

外に出ると猛烈な風、横浜駅へ着く前に傘はお釈迦になってしまった。早慶レガッタは開催されるか、「沈没」が頭をよぎる。慶応は過去2回沈没し負けている。12時スタートの第2エイトを吾妻橋で応援しようと浅草駅から街に出てびっくり、台風並みの風と雨だ。スタート用のステッキボートが沈没、第2エイトはスタートもままならず中止になったそうだ。逃げ込んだ「尾張や」のざる蕎麦のうまかったこと。浅草寺はいつもと大違い、がらがらでゆっくりお礼参りが出来た。トラは揚げ饅頭が気に入り、花より団子らしい。

早慶対校エイトは15時20分スタートだ。浅草寺を出る頃から雨は上がり青空に、相変わらず風は強く波は高いが、実施されることになったらしい。本部で同期の仲間や先輩から「元気そうだな」と声を掛けられる。「身障者手帳」を持つ身としては少々複雑な心境だったが、懐かしい面々と顔を合わせ、懇談するのは実に楽しく元気が出る。時を忘れるほどに対抗戦がスタート、妻も子・孫もどこかに消えたので、本部でテレビ観戦を決め込んだ。スタート直後から慶応リード、バランスが崩れ漕ぎづらそうだ。早稲田艇の浸水が激しそう、スタートから1000m強、総武線鉄橋の少し上流で沈没してしまった。

慶応の完漕を願っているとようやく言問橋下に見えてきた、8人で漕いでいる、慶應の伝統は8人で漕ぎ切ること。しかし洗い場カーブ辺で停船、全員で水を掻き出しているらしい、桜橋上流のゴールまでに2度繰返して何とかゴール、慶応義塾大学の完勝に終わった。5連勝、昨年は早稲田のコース侵犯、今年は沈没とすっきりしないが、清家塾長曰く、「荒天の勝ちは本当の勝利」。戻ってきた孫達も清家塾長や金子部長にご挨拶をして無事終了。帰りは同期の三六会を浅草の蕎麦屋で開催、美酒を味わうことができた。

孫3人連れ、古都の旅 

  何を思ったか妻が孫3人に京都と奈良を見せてやりたいと言い出した。受験で頑張ったご褒美として約束したから一緒に行ってくれませんか・・・病み上がりの老体にムチ打って重い腰を上げることになった。

 出発の朝、トラが風邪をひいて行けないとの連絡、少々拍子抜けしながら9時半の新幹線に乗る。名古屋を過ぎた頃「少し遅れるけど1時頃京都に着く」というメイルが母親から入り皆大喜び~「絶対に行く」と大泣きされ、熱はないので強行させたらしい~うどんすき「美々卯」で全員が揃い、ほっと一息。

  日曜日の三十三間堂や清水寺は観光客で大賑わいだが、妻は臆さず孫たちに仏像やお寺を写生させる。小さいながらなかなかのもの、「上手ね~」と褒められ、外人観光客からも「Wonderful」を連発され、孫達は得意そう、孫より妻の方が鼻高々でお坊さんを掴まえては「6歳でこれだけ描けるのは凄いでしょう~!」と自慢し回っていた。

清水寺

 ホテルに帰り食事の頃から風邪の具合が急速に悪化した。食べたものを吐くは、咳の勢いでパンツを汚すは、咳が出て寝付かれなくハーハー言っている。夜おそくおむつを買いにコンビニ探しをする始末・・・春からは1年生、男の子でしょ!と気合を入れるも「ママー、ママー、おっぱい、おっぱい」と泣いている。妻が添い寝しておっぱいに触らせ、ようやく眠りについた~古びてもお役立ちがあるようだ、古都ならでは~?^^

雑魚寝

 寒いお寺の本堂や庭で写生をさせ、インフルエンザにならなければ良いと思ったが、お医者さんに診てもらいその心配は解消、耳鼻科で吸入をして快方へ、元気になりだすと子どもは早い。3日目、東大寺や奈良公園を訪れた頃はすっかり元気になっていた。楽しみにしていた鹿への餌やり~6歳の2人はへっぴり腰ながら1人でやれて大満足、さすがは1年生! 4歳の孫は大きな鹿が目の前に現れて大仰天、とっさに逃げ出す・・・餌をはなさず腕を上げたまま走るから、どこまでも追いかけられ、必死になって抱きついてきた。泣いてしがみついて離れない、東大寺の前から奈良駅までだっこと肩車のしっぱなし~老躯にはこれが一番こたえた。孫3人を無事にお母さん達に引き渡してほっと一息、子育ては大変な仕事なんだと理解を深めた旅でした。

 今回の旅でもう一つ忘れられないのが、今出川橋にある靴の修理屋さん~82歳のお爺さんが1人で店をはっていた。間口2間、ガラス戸4枚の店に1人で座り、売り物は時代遅れのサンダルが10足ほど置かれているだけの店だ。ブーツの踵がはがれたのを1時間たらずで修理してくれて「1700円も貰って良いかね~?」、「有難う、親からこの店を貰い、この歳まで働かせてもらい、ほんに有難いこと・・・」と。仕事やお客への真心を感じた~心温まる出会いだった。孫との旅も良いが、思いがけない人とのふれあい、京都がますます好きになった。

岸岡靴店のご主人

ハートブレイクホテル

20年ほど前から何故か「自分が死ぬのは多分心臓病だろうな~」という予感をもっていた。「登山中に突然倒れて死亡」と言った新聞記事が気になっていたが、好きな登山に妻が同行してくれるお蔭で安心して続けている。山中で突然倒れて、妻が助けられるわけはないのだが、一人で寂しい想いをして死ぬのは厭だという手前勝手な発想だ。

新年早々に心臓の痛みに襲われた。痛みと息ができない苦しさで目が覚めた、ほんのひと時で時計を見たら早朝5時。「あ~死なずに済んだか~」と思う内に眠りにおち、目が覚めたのは8時ごろ、「夢だったのかな~」と妻に話して仕事に出かけた。昼過ぎに帰宅したところ、妻が「病院へ行け」と強い剣幕で言張る。たいしたことはなかろうと一笑する私に「病院で診て貰わないならこれから山登りも旅行も一切ゆきません」と大変な剣幕に押されしぶしぶ病院へ。ベッドに寝かされ妻が来たところで「緊急手術をしますので同意をしてください」ときた。 

「1時間以上脈拍が40を超えない、いつ心臓が止まるか分らない緊急事態だ」と言う。30歳ぐらいの美しい女医先生だ、「脈が50以下を除脈と言い、いつ心臓が止まるか分らない危険な状況です」と言い張る。緊急手術は首に穴をあけリードを静脈から心臓に繋げて電波で心臓を収縮させる、そして1週間後に本式の心臓ペースメーカーに入れ替えると言う。「そんなのは絶対嫌だ!」と言い張る内に興奮したせいか、脈拍は70まであがりますます元気に。部長先生が現れて、緊急手術はしないがICU泊りに落着。

昨夏、鍼灸の先生から「不整脈だから専門医に診てもらう方が良いよ」とアドバイスを受けた、念のため病院で精査を受けたところ「あなたの心電図はペースメーカーを入れないと危ない状態」と宣言された。夜間に起るタイプで昼間は少ないため様子を見ることに・・・お蔭で白山・荒島岳・早池峰山・岩手山をやっつけることができた。

頑健を誇っていたのに、今回は完全に「御用!」~我がペースメーカーは脈が50を切ると自動的に電波を発し心臓が働かせるお利口さんだそうだ。3カ月間は運動や重いものを持たないようとのお達し、3か月過ぎたらスキー・ゴルフ・山登りOK、今シーズンのスキーは諦めたが、早くゴルフと山登りをしたいものだ~あと1月半の辛抱!

雲海に胸ふくれて風さやか!

退院後自宅でほっと一息、孫の誕生会


2016年

正月元旦、孫どもを含め4世代総勢15人が鵠沼のママさん宅に集合、3日には孫のお誕生会となって4世代11人が我が家に集合。昨年は喪中のためイベントは自粛したが、今年は1昨年来の賑やかなお正月が復活し、若者たちから大きな元気を貰った。

昨年嬉しかったことを3つ選ぶと①永年の希望だったグランドキャニオンとナイアガラの滝を見たこと②ゴルフで1ラウンド86をマークしたこと、お恥ずかしいレベルだが生涯ベスト3に入るスコアだ③囲碁会でCクラスながら優勝したこと、か。

嬉しいことを考えるのは健康に良いそうだ。嬉しかったことは他にも一杯ある。百名山の昨年の目標7山を達成できたこと、妻が熱心に教えた生徒と孫2人、3人もが最難関校に入学したこと、孫たちとスキーや鬼ごっこで戯れたこと、スキーと言えばニセコでパウダースノーを初めて味わったのは昨年1月だ、生涯現役を標榜しているFP業務で大口コンサルティング契約を受注したこと等々、たくさん頭に浮かんでくる。今年も大いに頑張って嬉しいことをたくさん作りたいものだ。

今年の誕生日には70歳代最後の年を迎えるが、百名山残る3山の内、羊蹄山と五竜岳は今夏中に登り、素晴らしい雲海をたっぷり味わいたい。100山目は筑波山、100歳になっても登れる山を残してある。いつか縁起の良さそうな年に自分の脚で登頂し、ふもとの東武ホテルで山仲間や大切な人々に来てもらって、大勢で人生最後のパーティが出来たら何と楽しく嬉しいことだろうか。


良く頑張った~2題

孫2人が小学校受験に挑戦、思いがけず2人とも合格!妻が幼児教育に情熱を持っていて一生懸命だっただけに喜ばしいことこの上ない。しかも雌伏15年、今まで1人も合格していない難関校だけにこんなに嬉しいことはない。みんな良く頑張ったぞ~!

お婆ちゃんが孫をちゃんと教えられるか傍で心配していたが、実に見事だった。狭い我が家では何でも筒抜け。まさに真剣勝負だった~お婆ちゃんが大声で叱るは叩くは~暴力教室だ^^感心したのは剣道の竹刀もどきを「えいっ!」の掛け声と共に何回も振らす、声が力強くなるまで何十回とやらせるのには驚いた。子どもの声が力強くなるほどに覚える力や聞く力が高まってゆく・・・「なるほど~」と感心させられた。

妻は十分に眠れなかったらしい。2人とも受かるのは無理では・・・、片方が受かった時、兄弟やお嫁さんたちの気持は・・・杞憂に終わり、めでたし、めでたし!

今年は孫以外の教え子が1人その難関校に合格するというおまけ付きだった。こちらも良く頑張ったね~!

荒島岳~8月に遡る。白山登頂の翌日に百名山95座目の荒島岳に挑戦。白山の下山途中から左膝が痛みだし、宿でもびっこを引く有様だった。妻に相談しても「また来るの~、頑張れないの~」の一点張り。翌日は仕事があり、1日延ばすこともままならない。

11時には引返すことを覚悟して、6時半に登頂開始~「本当に動けなくなったらどうするか?」「ビルマの竪琴の兵士に比べればなんでもないぞ~、心身滅却すれば火もまた涼し・・・・」もう一人の眞雄君に励まされながらシャクナゲ平に到着。小休止、ここからの白山は素晴らしかった。これがあるから止められない、しばし足の痛みを忘れて充電~何とか11時に登頂できた。行きはよいよい、帰りはこわい・・・下り坂は一歩毎にビリッと痛む。妻が「セデスを飲むと良いかも・・」と提案、これが功を奏してスピードアップ、無事に16時に下山が出来た。有難う。いや~我ながら良く頑張った!


神が宿る山、白山

白山は信仰の山、富士山と立山と並ぶ日本3山の一つで昔は女人禁制だったと聞いた。

早朝に頂上で朝日を拝んだ後、思いもかけず神主さんのお祓いを受けることが出来た。標高2702mの頂上は8月半ばなのにフリースとゴアテックスの合羽を着ていても寒い。 体中が冷たい空気で洗い清められた気持になり、頂上の祠に向かって三拝三拍、日が昇ってくる東方には雲海のかなたに北アルプスの槍・穂高が遠望され、ここ白山の頂に立てたことの幸せを想い、感謝の念で自然と手を合わせたくなる。

前日早朝に横浜を発ち、福井駅からレンタカーで別当出合へ、登山口を12時半に出発、室堂の小屋に17時半に辿り着いた。一休みしていると「夕日が素晴らしいですよ」の声が聞こえ山荘の前に出る・・・不思議な夕日を見た。雲海の中に真っ赤な太陽が沈んでゆき、暫くすると夕日の影なのだろうか、火の柱とも思える赤い柱が雲海の中にまっすぐ立った。今まで富士山や立山や北端の利尻島で、また南・北アルプスで朝日や夕日を数多く見てきたが、これほど不思議で神々しい光を見たことがない。神が宿る山なのだろうか。

小屋で同室だった山岸善二さんは麓の白山市の人、真宗大谷派の衆徒で毎年奥様と白山に登り、神主さんにお祓いを受けるという。私たちがお祓いを受けられたのは山岸さんのお蔭だった次第だ。「朝から上り始め10時間以上かかった、今年が最後かな~」と寂しそうに話しておられた。お聞きすると同じ齢、「山はゆっくり登れば何歳でも大丈夫、北アルプスでは90歳の人が1人で登ってこられましたよ」と話をし、励ましたのが思い出される。偉そうに言った自分も下りに右膝が痛くなり、最後の2時間は苦しまされた。

今年の目標は安達太良山・白山・荒島岳・早池峰山・岩手山の5山、登るたびに下山後半で右膝が痛くなり、悩まされながらも9月初旬に何とか目標を達成。大変ほっとした。   妻の同行と「大丈夫よ~私が3本目の足になってあげるわよ~」のノンビリズムがなければとてもできないことだったと思う。百名山、目標達成まで残りは3つ~達成をいつにするか、楽しみだ~!




今年の花火は

8月はじめの神奈川新聞主催の花火は我が家のベランダから見える。まずは開始前の写真をご覧あれ!1枚目写真の右手が臨海公園、公園300m沖合で花火が打ち合げられる。ゆかたを着て下駄をはいた娘さんが3分の1はいただろうか。我が家は狭いながらお嫁さんや孫たちも来てくれた。花火大好きなおばあちゃんはカレーで手抜き。今年の花火は見事だった、景気が良くなったのだろうか、最後の滅多打ちは豪華絢爛だった。花火もイノベーション、ハートやアンパンマンが綺麗に出るようになったし、横に跳んで「あれっ?」と思ったら、着水した所からドーンと真上に花火が揚がる新作には驚かされた。観覧艇が安全なのか心配をしたが、大丈夫なのだろう。花火は風次第、12年前、転居して最初の年は音はすれど姿は見えず、夏なのに北風が吹き黒煙がこちらへ流れてきて煙が滞留し次の花火が見えない。今年は東風が強く、ドーンと上がって「何てきれいなんだろう」と思う間もなくさっと煙を吹き消してくれた。写真の腕が悪いのが残念!

チュッタさんの退院とネギの帰宅

妻の母親チュッタさんが4月に大腿骨骨折で入院、愛猫2匹~茄子畑で生まれたナス20歳と4~5歳のネギを家にいれておくわけにもゆかず、雨が当たらない玄関に段ボールの寝箱を作って留守番をさせていた。近くに住む息子夫婦や孫たちが餌やりに立ち寄る。お風呂が大好きな家猫なのに可哀想・・・馴染みのうすい爺が立ちよっても「ニャーニャー」泣いてすり寄ってくる。ネギを抱っこしたらゴロゴロ喉を鳴らすのには驚いた。

5月末に妻から庭の草むしりを頼まれた。昔取った杵柄、嫌いではない仕事だ。ふーっと気が付くと2~3m離れたところにネギがいる。あちこち場所を換えてもいつの間にか近くに来ている、こちらを見るわけでもなく声をかけても知らんぷりだ。喉をゴロゴロ鳴らしたことはすっかり忘れた様子だ。でも「ういやつ」の想いが自然と湧いてきた。妻に話すと「そうなのよ、それを知ったら猫を飼いたくなるわよ」と言う。

6月に入ってネギがいないという知らせが入ってきた。すわっ~何事?カラスに襲われたか、車にひかれたか、誘拐されたか、大声で呼びつつ近所を探しても現れない。近所の人に訊ねても消息はなし。せっかく猫が好きになりかけたのに・・・もう一度ふわっとしたあの温かい気持ちになりたい、淡い失恋の味だろうか。 

7月初めにチュッタさんが3カ月ぶりに退院、やっと自宅に戻れることになった。妻と私はチュッタさんの運搬係、妻の弟義一さんの監督下で介護ベッドが運び込まれ、玄関の上り框を改造、家中に手すりを張り巡らす工事のさなかに無事帰宅した。義一さんは毎日泊りに来るとのこと、親孝行ぶりが徹底している。チュッタさんは病院のまずい食事から解放されてほっと一息の様子だ。顔つきも病院にいる時より何倍も明るい。これが一番嬉しい。

なんとなんと、退院翌日の夕方に痩せ衰えたネギが帰ってきたという。最初に玄関で見つけたのは妻だが、あまりに痩せていてネギだとすぐには分らなかったそうだ。ひょっとしてと思い「ネギー」と声をかけると「ニャーオ」の返事、だぶだぶに太っていたお腹まわりがすっかり影をひそめ、首輪がなくなっていたそうだ。何も話してくれないがママさんを探しに出かけたのか、ちょうど1ヶ月間どこをさまよっていたのか、動物には人間にはない凄い力が残っているのだろうか。心底嬉しく、ほっとした・・・いまだに信じられない。


安達太良山

急に安達太良山に登ろうということになった。ベトナム旅行が義母の入院で流れ、せっかくの休暇をどうするか・・・ゴルフ合宿をするか、佐渡島にトキを見に行くか、思いつきは色々あったがもう一つ盛り上がらず、妻の「百名山をやっつけよう!」の一言で安達太良山の登山案が急浮上した。

朝5時半の横浜発に乗れば十分日帰りができる・・・前日フレンチオープンの錦織を午前3時過ぎまで応援した身としてはいささか辛いが、一泊する案は妻に却下されて日帰り案が実現の運びに・・・新幹線で寝れば良いか~・・・30分ほど居眠りをしただろうか、気が付いたら郡山の駅に到着、身体は意外に軽くなっていた。

レンタカーで山に入るほどに木の揺れが激しい、折れた生枝が道端に散乱していて目指す山はすっぽり雲の中である。午前10時、登山口について車を降りて驚いた、雨交じりの強風で前に進むのもままならない。案の定ゴンドラは運転中止、台風でもこんなに風が強いのは珍しいとのこと「危険だからやめよう」と言ったが、妻は歩いて登ろうと言い張る。「定年後は妻を社長にしなさい」という本が売れているらしいが、我が家で妻を社長にしたらとんでもないことになりそうだ^^。

山の神様が「身体をいたわりなさい」と言っているのだと勝手解釈。岳温泉に宿を取り翌日挑戦することになった・・・気ままな時間が生れ、二本松市にある智恵子記念館や大山忠作美術館を巡った。高村智恵子(光太郎夫人)は明治36年に日本女子大入学とある、明治時代に福島県の片田舎から良くぞ・・・ふっと我が家のおばちゃんを思い出した。親父の姉も広島の片田舎から東京へ出て日本女子大で学び教壇に・・・親父はおばちゃんの支援で東京高商へ行ったと聞いた。おばちゃんはわが家の恩人だ~智恵子とほぼ同年代。縁はどこにでもあるものだと不思議な巡り合せを感じる。

安達太良山の頂上は「乳首」と称されている。山全体を乳房とし頂上がぷっくりとがっている様をそう称したのだろう。山を眺めながら、お袋が「昔は私もボインだったのよ」と笑って話したのを思い出した。いつだったか、何がきっかけだったか、お袋のおっぱいは全く思い出せないが、やさしい笑顔が思い出されてほんのり心が温まる。

安達太良山には長い間こわいイメージをもっていた。戸川幸夫全集に安達太良山のマタギが雪山の中で争い、絶壁から転落して2人とも死んでしまう壮絶な短編があった。また、相当前になるが、登山者が4人ガスを吸いこんで死亡する遭難事件もあった。岳温泉側からの安達太良山はやさしく「たらちねの・・・」のイメージであるが、頂上の反対側を見てびっくりした。険しい崖の下は草木が1本も生えない灰褐色の広い礫地、寒々とした生命のない地獄谷、不気味さが漂っている。遭難事故があったのはこの地、沼ノ平だ。表裏がこんなに違う山も珍しい。「怖い山」から無事に下山をしての温泉は格別だ~心身共にほっと一息!岳温泉は硫黄泉、ゆっくり1時間も温泉につかっていたら、銀メッキの健康首輪が真っ黒になってしまった。



三社祭と日輪寺

お神輿は担ぎ手の力加減で右に左に蛇行しながら浅草寺へ入ってくる。暴走しないように一番前では3~4人が進行方向に背を向けて必死に担ぎ棒を抑えている。老いも若きも、男も女も法被姿で「おいさっ!えいさっ!」重さで苦痛にゆがんだ顔、楽しそうに手を挙げて囃し立てている人、女性も担ぎ棒を下から持ちながら目を閉じ気持ち良さそうに「おいさっ!えいさっ!」と声を上げている。掛け声と鐘と太鼓と笛のお囃子が一体となり、下町のお祭り風情は良いものだ。褌を締め法被姿で町を歩いたこと神輿を担いだこともないので羨ましい、見ているだけで楽しくなり、「おいさっ!えいさっ!」「チンドン、チンドン」「ピーヒャラ、ピーヒャラ~」と囃子に合わせて体が自然と動き出す。

1時間の間にお神輿は何基通過しただろうか。今日は100基が繰り出すそうだ。お腹がすいてきて「どぜうの飯田屋」へ~どぜう鍋は1人前約2000円也、お腹一杯にはならず「梅園」のクリーム餡蜜でようやく満腹。甘いもので満腹すると、お腹は空かないものらしい。「上野駅まで歩こう」が「東京駅まで行こう」となり、約16000歩~東京駅で「浅草から歩いてきた」と話したら驚かれたが、さしたることはなし。ゴルフの1ラウンド分の行程であった。

妻はどじょうを食べながら「パパが学生時代に下宿していた時宗の日輪寺へゆこう」と言いだした。時宗の僧侶だった岳父のプッパさんから東京大空襲の時に命からがら逃げたという話を良く聞いていた。隅田川方向に逃げたが途中で危いと思い、皆とは逆方向に引返して煙の下を匍匐前進して伝法院の池まできて気を失ったそうだ。途中地面を這いながら浅草寺の大伽藍が焼け崩れる様を目の当たりにしたという壮絶な体験談だ。

日輪寺の門をくぐり、出てきてくれた住職に妻が「辻岡の娘です」と告げると、「辻岡さんの話は良く聞いています」と本堂に招じ入れてくれた。本堂の仏像の右手に黒い大きな木魚があった。これぞ、プッパさんが1人で防空壕に避難させたという大木魚だ。こんなに大きな木魚を細身のプッパさんが1人で良くぞ動かせたと思う。日輪寺を訪ねたことで思いがけず大戦を思い出すことになった。自分は小学校2年生だったが、今年は終戦70周年。プッパさんの不思議な導きを感じる。天皇陛下のパラオ訪問や原爆ドームが頭をかすめるとともに、平和に対する感謝の念が湧き上がり、自然に手を合わせることができた~良い休息日であった。来年の三社祭の時には伝法院を探訪したい。


早慶レガッタの4連覇

4月19日(日)小雨の中で行われた第84回早慶レガッタの応援に妻と隅田川へ出かけた。どういう風の吹き回しか、お嫁さんと孫が参加、龍一もあとから合流し、楽しい応援団となった。応援の前にまずは浅草寺へ勝利を祈願、加えて小さな孫が元気に育つようにお香の煙をたくさんかぶってお参り。仲見世通りには外国人があふれ日本とは思えない賑わいだが、お店には「健闘、早慶レガッタ」の旗が吊るされていて、やはり浅草~早慶レガッタを応援してくれていて嬉しい。

早慶対校エイトは15時30分スタート、吾妻橋を渡り、向島へ。ゴールは向島桜橋の少し上流で、桜橋のたもとに本部がある。先輩に会うと今でも緊張するが、懐かしく楽しい面々と2時間ほど交歓。慶応義塾端艇部は昨秋創部125周年記念を迎え、今年は負けるわけにはいかない。

いよいよスタート、放送でしか分らないが早稲田がリード、言問橋の辺りからようやく見えてくる。浅草側の早稲田が確かにリードしている。洗い場のカーブも早稲田に有利、2艇身差がついている。「慶応~!」と応援するも水が空いたままゴール。しかし赤旗が上がっている。早稲田にコース侵犯があり、大会規則3条により失格となってしまった。すっきりした勝ちではないが「勝ちは勝ち」として4連覇を祝い、帰りは同期の三六会を浅草の蕎麦屋で開催、美酒を味わうことができた。


念願のグランドキャニオンとナイアガラの滝

 グランドキャニオンは約50年前ロスのディズニーランドで園内に造られた擬似グランドキャニオンを見て以来、本物はさぞ雄大だろう、人生観を変える代物かもしれない、ぜひ見たいと希望していたもの。ナイアガラの滝はお袋がニューヨークの兄貴ファミリーと訪れており、お袋の足跡を辿りたいという気持もあって、ぜひ訪れたいと願っていたもの。2つの念願が織り込まれた『カナダ・アメリカ9日間のツアー』を発見、妻の賛同も得られて、効率よく念願を果たせることとなった。

グランドキャニオンの赤茶色をした巨大な崖~対岸まで3~5km、深さは1000m近いだろうか、見渡す限り連なる赤茶の崖の広がりをどう言い表したら良いのだろう。『Very very great』 としか言いようがない、自然の不思議、力、偉大さを感じる・・・妻の弟は大学生時代に1人旅で訪れて大きな感動を受けたそうだが、自分も若い時にこれを見ていたら、この雄大さを胸にもっと大きな生き方ができたかもしれない・・・。『可愛い子には旅をさせろ!』の大切さを痛感する。モニュメントバレーで見た荘厳な朝日を、この地にもう1度訪れて目にしたい・・・夕日や朝日に染まる真っ赤なグランドキャニオンを見たらモニュメントバレー以上の感動があるのではなかろうか。

モニュメントバレー

ナイアガラの滝は氷が滝の3分の1を覆っていた。カナダ側から、そしてヘリコプターから・・・やはり日本の滝にはない大きさだ。日光華厳滝、那智の滝、尾瀬の三条滝(一般的には袋田の滝が日本三大滝だそうだが、三条の滝の方がはるかに豪快で大きい)は落差が大きく、水量も多く迫力があると思っていたが、ナイアガラのそれには全く叶わない。氷がなければもっと幅が広く迫力があるのだろう。滝壺からは水煙なのだろうか、雲が湧き上がるようで滝の全容を見られない。英国のサッチャー元首相がイグアスの滝を見て、「ナイアガラの滝が可哀そう」といった話を思い出したが、日本の三大滝はもっと可哀想。しかし大きければ良いというものでもなし、日本の三大滝の紅葉とのコントラストは世界の三大滝に決して負けない美しさだろう。

昨日はお袋の17回忌、久しぶりに兄弟や孫や玄孫が30人近く集まり、昔話に花を咲かせたが、お袋は明治の人ながら、世界の三大瀑布の2つまで足を運んだ。この足跡に昭和生れの我々が負けるわけにはいかない・・・漸くクリアーできほっと一息している。 

カナダ滝

ヘリから

ニセコのパウダースノウは世界一

2年ぶりに妻と3泊4日でニセコへスキー行、ニセコには若い時も含め5回目だが、初めてパウダースノウを味わうことができた。今話題のバックカントリ―の深雪を滑るほどの腕前(脚前?)はないが、柔らかく滑らかな雪面を滑る気分は最高だ。良い空気を胸一杯に吸込み、冷たい風を切り、雪を巻き上げての躍動感はたまらない。ダウンヒルのスピードは毎年落ちているのだろうが、昨年と大きく変わることはなく「ほっと一息」、スキーは元気さをはかるバロメーターだ。この元気、まずは両親に感謝、次は妻だろう。3番目が神様仏様~目に見えない力に感謝!何はともあれ、幌尻岳登頂以来のよろこび、達成感だろうか。妻も「なんか上手になった気がする」とご機嫌だ。ゴンドラ終点の寒暖計は-13度、そこからリフトを2本乗り継いだニセコアンヌプリ岳の直下は-20度だろうか。雪がやみ青空が出た時の正面の羊蹄山は真っ白、富士山そっくりで蝦夷富士の名にふさわしく美しい。ゴンドラではフィンランド・ドイツ・スイス・アメリカ・オーストラリアの人達と交流、「Niseko is the best in the world!」、インターネットでパウダースノウと入れると出てくる由。ヨーロッパ人が日本にスキーにくるとは、世の中変われば変わるものだ。自分が褒められたような気がして、なぜか嬉しかった^^。

越後駒ヶ岳と巻機山をやっつけた~

妻の仕事の関係でず~っと秋山に行けなかったが、今年は運良く紅葉の百名山に挑戦することができた。夏場は蛇がうようよいるという越後駒ヶ岳と草紅葉で有名な巻機山に登ることにした。ガイドブックによるといずれも健脚向け、越後駒ヶ岳のコースタイムは日帰り11時間、北海道のトムラウシ岳や利尻岳に匹敵するきびしさだ。早朝5時半まだ暗い中を出発、曇り空で目指す駒ヶ岳は見えないが、幾えに連なる越後の山並みや紅葉を楽しみながらゆっくり上ること4.5時間。頂上直下の避難小屋に着いた頃から青空が見え始めた。あと30分で頂上、風に雲が流されると頂上が現れる。頂上到着は10時半、晴天に変わり私が一番好きな大雲海が目の当たりに!自然が織りなすこのパノラマと爽快感を味わいたくて、良い歳をしながらやめられない。お弁当が美味しいこともこの上ない幸せ。360度見渡す限りの雲海と島のように浮いている山々を愛でて、11時30分下山開始。下りは4.5時間、常緑樹の緑と陽があたった赤や黄色の紅葉とのコントラストが美しい。振り返るとどこからもさいごまで越後駒ヶ岳の大きな姿が見えて、見守られているような、懐にいだかれているような暖かい気持になった。

あそこまでよく登ったもの!

登山口には16時無事到着して握手。私は1つだけにして来年の楽しみにしようと言うが、妻は頑張って巻機山にも登りたいという。少しでも早く難行苦行から脱したい一念かららしい。77歳の老躯をいたわろうという配慮は全くなし。大変ばてているが、巻機山の登山口清水村へ向かう。いずみ屋に到着したのは18時半、思いの外遠かった。宿のご主人が銘酒八海山をご馳走してくれ、これが疲れた体にはよく効く~実においしくて少々飲み過ぎてしまった。それでも10時就寝、4時起床、5時半登山開始。私は自分の心と対話をするのが好きだ。苦しくなったり辛いことがある時にもう1人の自分にはっぱをかける。「眞雄、ファイトだ!自分に負けるな!」~登るほどにふつふつとファイトが湧いてくる。好天に恵まれ、沢の音が心地よく、モミジやハゼの木の紅葉が日に映えて美しい。7合目を過ぎたら木がなくなり熊笹と遠くに巻機山の草紅葉が見え始めた。昨日の越後駒ヶ岳とはそう離れていないのに全く景色が違う。オレンジ色の絨毯が目にやさしい、頂上は平らで、下から見てもどこが頂上か良く分らない。10時半に登頂、92番目の百名山だ。山は登りより下りがきつい~下山途中から左膝が痛くなった。羅臼岳で右膝を痛めびっこを引きつつ熊が出ないよう大声で歌いながら下山、最後になったことが頭をよぎる。あの時、妻(のん)はさぞ心細かっただろう~同じことにならないよう段差を小さくして膝をカバーする。15時半に登山口に無事到着、「のん、有難う。やった~!」。健脚向けを2つやっつけて、本年の山行は無事終了。来年以降の100名山の目標達成に目途をつけることができ、こんなにほっとしたことはない。

喜寿を幌尻岳山頂で祝う

自力で幌尻岳に登れるとは夢にも思わなかった。沢の渡渉やヒグマが怖ろしく敬遠してきたが、百名山達成にはチャレンジあるのみ~喜寿祝いを幌尻岳ですることにした。平成26年9月3日の誕生日がXデー!光岳で会ったガイドの松本さんが登頂確率を高めるには「新冠コース」が良いと教えてくれた。不安定な沢の渡渉はないが、登山口へのアプローチが19km、箱根駅伝の1区間ほどをシュラフや3日分の食料等12kgを担いでのアップダウンはこたえた。林道は緑が美しい、鳥のさえずりが聞こえ、珍しい蝶々がたくさん舞っていたが、楽しむ余裕はすぐになくなった。リュックが肩に食い込み、ずっしりと腰にくる。標識が整備されていないので辿り着けるか不安が募るが、午後2時に「あと5km」の標識を見つけた時はほっとした~幌尻小屋(無人小屋)に16時半に到着した時はうれしかった。妻は「山奥の無人小屋に2人だけ?」と怖がっていたが、20人はいただろうか。今日登頂したガイド付きのグループ7人は札幌発、2泊3日食事付き、荷物を担いでくれて1人6万円だそうだ。荷役係らしき3人の若者は登山をせず、沢でオショロコマを釣って晩飯の準備、30㎝級が30匹ほど釣れていた。我々はネズミが来ないという2階に寝場所を確保して、1階のストーブの前で湯を沸かし懐中電灯を頼りに持参の山食を・・・これが意外と旨い。こちらは2泊3日で1人3000円、ガイド付きとは大きな違いだが、「登山は自ら計画し、己の力で実行することに大きな喜びと価値あり」と見つけたり。ストーブを囲みながら札幌から来た同年代の登山家4人と山の話が弾む。19時には真っ暗になりダウンの寝袋で就寝。夜中には寒さで目が覚めた、標高700mとさほど高くないのにさすがは北海道だ! 

  待望の新冠ポロシリ山荘                     Royal Sweet Room

 

翌朝は5時半に出発、昨日登った人から「朝露でびっしょりになるわよ」と貴重な情報を貰い、雨ズボンをはくため予定より30分遅れ、札幌4人組に後れを取ってしまった。幌尻岳頂上へは新冠川源流をたどり、笹薮がきれた辺りから急登が始まる。白樺の森が美しい。中間点の手前で先発した札幌4人組に追いついた。我々は追い抜かれることはあっても追い抜くことはまずない牛歩登山を良しとしている。聞くと仲間の1人が残る食料を全部担いできてしまったのを皆で分担してしょっているとか・・・・・オーバーロードだ、山では普段思いもつかないことが起こる~それを皆で助け合う~だから絆が深まるのだ・・・・・。1500m地点で勢いよく流れる大きな沢が出現、北海道ではエキノコックスが怖いので水を飲んではいけないが、ここだけは大丈夫と聞いた。この水がおいしいことこの上ない。ここからは木がなくなり、見晴らしが良い、昨日湖畔をふ~ふ~言いながら歩いた幌尻湖が遠望される。良く登ってきたものだ。あと一頑張り!

地図上4時間10分の行程を朝食時間も入れて5時間で踏破、登ってみればそんなにきつくない山だが、奥深さがすごい。登ってきた新冠コースは東カール(お椀状の窪地)を通る、七つ沼に向う尾根道の左側、戸蔦別岳との間が北カール、南アルプス仙丈ケ岳の大カールと変わらないスケールで穏やかな斜面が広がる。頂上付近ではもう紅葉が始まっていた。妻が頂上にいた5人の登山者に頼んでくれて、ハピーバースデイを大合唱・・・てれくさくもあり、申し訳なくもあり、楽しくもあり、複雑な心境で大声で歌った。札幌4人組の2人や初めて会った人も楽しそうに歌ってくれ、喜びがふつふつと湧いてきたのを思い出す。考えてみればこんな喜寿の祝い方はギネスブックものかもしれない。妻が七つ沼へ行こうと言い出した。往復2時間、雲が出てきて心配だったが、新冠町の民宿ふかふか亭のご主人が「幌尻岳は頂上だけではないですよ、七つ沼や新冠小屋、林道、すべてを良~く味わってきて下さい!」と言っていたのを思い出し、足を延ばすことにした。七つ沼を見下ろすピークの下、戸蔦別岳へ向かう尾根道の右側が七つ沼カールだ。七つ沼の濃い紫色、周囲の緑とのコントラストの美しさを写真で上手に撮れなかったが、深く濃い紫色だった。雌阿寒岳の噴火口の赤茶色、阿蘇岳噴火口の深い緑色をふっと思い出した。幌尻岳の頂上に帰ってきたら人っ子1人おらず、キタキツネが迎えてくれたが、岩をピョンピョンと飛んで写真を撮る暇もなく、カールの叢に消えてしまった。妻と2人だけ、実に静かだ。

高妻山~妻は強いと見つけたり

戸隠山には天岩戸の伝説があり、山隗はごつごつと迫りくる威圧感があり、長いこと戸隠山が百名山であると思い込んでいた。間違いに気が付いたのは昨年の夏~戸隠山でなく高妻山?・・・はるか奥にあって戸隠高原からはあまり目にすることができない山だ。何か面白からず、納得がいかないが、深田久弥が選んだ山、文句を言っても始まらない。妻は光岳を登って自信をつけたのか、「残り12山は2人で登ろう」と嬉しいことを言ってくれていた。自分は今年喜寿を迎える、この歳になると1人での登山はつらい。妻が一緒に行ってくれると、なぜか安心感が湧くのだ。百名山を達成した友人から「高妻山はきついよ」と聞いていたが、頂上直下1時間の急登は実につらかった。あそこを超えたら頂上かと何度思っただろうか。「十阿弥陀」が頂上と思いきや、頂上までの100mのつらかったこと、達成感を味わう余裕はなく、日陰の岩を見つけて座り込んでしまった・・・疲労に対する恐怖感を初めて味わった。いつもと違う私に妻も心配したのか、アミノバイタルを続けざまに飲ませる・・・いつも泣き言をいう妻が何も言わず弁当を平らげている。「とにかく食べて!」という~アサヒマダラ蝶が優雅に舞い、クジャクチョウやヒオドシチョウが花の蜜を吸っている美しい姿を見るほどに元気になった。山好きだった岳父が今年2月に他界、妻は遺骨をリュックに入れて登っていると帰り道に初めて聞いた、~それ以来晴天続きだと笑っている。確かに天気予報は雨だったのに今日は見事に晴れてくれた。高妻山で初めて妻の底力、強さを目の当たりにした。

南アルプス光岳登山での二話

第一話~大きな忘れ物~光岳の山小屋には布団はなくシュラフ(寝袋)だけとのこと。妻は「他人様が使ったシュラフなんか絶対いやだ」という。(影の声:布団も他人様が使っているのだが~?)これから何回使うか分らないが、いっそのこと買おうということに・・・リュックも大きくしなければならない。軽くて小さくて暖かく廉価なシュラフを探すのに、ITショッピングだけでなく、登山の専門店を5か所はめぐっただろうか。横浜から登山口の遠山郷の民宿へは7時間もかかった、飯田ICで降りてからが長い。道を訊ねつつ細い山道を2時間、16時に到着。荷物を降ろしていて、妻が「えっ???登山靴がない!!」と悲鳴を上げた。命を守ってくれる大切なものを2人ともスポッと忘れてきた。シュラフやリュックに気を取られ過ぎたようだ。悪いことに妻はゴムゾウリ、運動靴もない。「帰ろう!」と心を決め、民宿のおばあちゃんに言うと「可哀そうじゃな~、わしの靴を貸しても使えんじゃろうし」と・・・突如、妻が「飯田で靴を探そう」と・・・登山靴はなかったが、もどきのトレッキングシューズを入手して宿へ引返す。到着18時半、2時間半の早業であった~火事場の馬鹿力?3日間、足を痛めることもなく、事故もなく無事下山、ヤレヤレ~であった。

日の出、聖岳&富士山

光岳遠望

第二話~奇遇~妻が女性3人組に会う度に「北海道から来たのでは?」と聞いている。妻は登山前日に嫁の母親に会い、「明日からつらいけど光岳に登る」と話したところ、「え~っ?!千歳空港で会った登山姿の女性3人連れから光岳に登ると聞いた。会えるかしら」と素っ頓狂な話。妻もかなり現実ばなれしたタイプ~面白がって本気で探していた。光小屋は静岡県営のきれいな山小屋で収容40人ぐらいだろうか、奇跡は翌朝、食堂でおこった。目を覚ますと快晴、富士山がイザルヶ岳の右側に見える、茶臼岳の辺から真っ赤なご来光が上がってくる。そして大河内岳・聖岳・兎岳・大沢岳その後ろにも赤石・荒川三山とおぼしき南アルプスの大きな山塊が雲海の上に連綿と続いている。前日は早立ちを考え、朝食は頼まずおにぎりを注文したが、この景色の中に少しでも長くいたくなり、おにぎりを食堂で食べることにした。コンロで味噌汁を炊き、スープを作り、缶詰を温めて・・・その時隣から北海道の話が聞こえてきた。妻がすかさず「北海道からですか?」「は~い」・・・神奈川県のガイドに導かれた女性3人組がまさに千歳空港の登山家だった。空港での話、百名山、北海道の山、スキー、光岳登山コースの話等、1時間近く話に花が咲いただろうか・・・嫁の母親は上品できれいな方だが、3人組も魅力的~山に登る女性にもこんな素敵な人たちがいたのだ~新しい大きな発見。山がますます楽しく好きになる・・・珍しくも楽しい奇遇であった。


霧島、韓国岳&高千穂の峰

5月、本年初の百名山挑戦は南の山~霧島連峰を選んだ。今年は雪が多く本州の山はまだ雪が深いそうだ。新燃岳と中岳は噴火して3年目になるがまだ立入禁止のため、縦走はかなわずピストン登山となった。韓国岳は登るほどにガスがかかり、2時間ほどで頂上に着いても視界はゼロ。韓国岳の看板と記念撮影、西側は垂直の崖で地図によると大きなクレーターがあるようだ・・・すぐ降りてしまう登山者が多いが、山の天気は気まぐれ。我々はしつこく一瞬の晴れ間を待つことが多い。弁当を食べて待つこと30分、諦めて下山を開始した直後にす~っと雲が消えた。やった~、東側の雲海の上に高千穂の峰がぽっかり浮かび、背後には恐ろしくおおきなクレーターが現れた。山の雄大さ・深さを味わえる感激の一瞬だ。

翌日は高千穂の峰に挑戦、御鉢沿いの急な登りは1歩登っても半歩下がる火山灰地、加えて昨日湯冷めをし風邪を引いてしまい鼻と喉が痛い。良く登る気になったと我ながら感心するが、頂上直下はつらかった。霧島連峰は霧が多い~宮崎県側日向灘からの湿った空気が山にそって上昇すると冷やされて霧になるのだそうだ。ガスで天の逆鉾もはっきり見えず、山頂は雨交じりの強風が吹きつけ、座って休む場所もない。無人の避難小屋に入り、やっと人心地がついた。昨日の僥倖を期待したが、残念ながら現れず下山。体調・天候がすぐれない中を無事に生還して霧島古宮址にお参り、合掌。


憧れのシャモニー、半日だけの晴れ

昨年に続き2月初旬に中高時代の仲間とシャモニーへスキー行をした。南米旅行の後10日足らずでの強行軍で老躯には時差がこたえたのか、お腹を壊してダウンしてしまった。後で分ったことだが、疲れていたところで孫からロタウィルスを貰ったらしい。シャモニー実滞在6日の内、スキーができたのは3日だけ、それも雪で視界が悪く快適に滑れたことは残念ながら1回もなかった。下の写真のように先頭を滑っていた田中兄が「あっ!」と叫んで消えてしまった。視界が悪い中を方向を間違えて30m崖下に転落、雪が深く助けようがない~この歳になると自己責任だ。脱出に30分以上かかり、バスを1時間待つ破目に。こんな天候ではスキーに出かけても2~3本で上らざるを得ない~青空のもと、冷たい風をきって滑り降りるスキーの爽快感を味わうことはできなかった。そんな中、5日目朝ようやく晴れ、朝方に憧れのモンブランの頂上が少しだけ顔を見せた。アギュルドミディの展望台へ、ヨーロッパアルプスの輝きは下の写真のように素晴らしい。ほっとしたものの考えてみると、高価な旅だった。

プッパさん、安らかに大往生

妻の親父さんが老衰で米寿まで1ヶ月を残して2月22日に大往生、先週49回忌が無事に終った。60歳から20年間つとめた時宗の総本山遊行寺でお通夜を、故郷静岡県牧之原市の清浄寺で10人以上の僧侶の読経で厳かに葬儀が催され、静かな山里で荼毘に付された。49日では清浄寺住職で弟の義啓さんがお経をあげてくれ、「49日は七七忌と言い、死んでから7週間目にお彼岸(極楽)へ到着する大事な日だ」と話をしてくれた。必ずや極楽でにこにこと往生安楽されていることだろう。

2月に亡くなってからは何故かこのコラムを書く気持にならなかったが、ようやく一区切りがついた。妻は「プッパは最近私よりあなたの方が大切なようだ」と笑っていたが、囲碁の好敵手として可愛がってくれ、顔を合わせると右手で「やろう」のサインが必ず出たものだ。亡くなる3日前にもサインが出たが、妻がお風呂を優先したため体力を使い果たし、対決は実現できなかった。これが唯一の心残りだ。お医者さんの言う下顎呼吸になり、大きく息を吸う所作が続くが、苦しそうではない。人が声をかけると分るようで、繋がった医療機器の数値がアップする。近親者を集めてと言われてから約12時間後に大往生。息を吸う間隔が広がり、ごく自然に息を引き取ったそうだ。以前、三木清の「人生論ノート」に「死はこわくない」とあるのを読み、少し死に対する恐怖が薄らいだ覚えがあるが、義父の死をまじかにしてこのことを実感することができた。

プッパさんは眼窩がくぼみ一見怖そうだったが、目が実にやさしかった。若いころは腹が太く、会社からは相当の修羅場を任されたと聞いている。枯れてはいるが暖かい、多くを語らず飄々としていて風格のある人だった。北は北海道から九州まで、ハワイにも碁盤持参で旅行をしたが、八甲田山に行った時のことが思い出深い。「新田次郎の〝八甲田山、死の彷徨〝の地をぜひ訪ねたい」と言われて2009年の夏に実現した。酸ヶ湯温泉に泊り、ロープウェイで頂上へ、そして記念碑・記念館へ・・・何も言われなかったが、記念碑の前で頭を垂れ黙祷・読経されていた姿が目に浮かぶ。懐が深く、暖かい、どれだけ救われたことか、筆舌に記しがたい・・・・・「こうありたい」と思う人物が身近にいて戴き、幸せであった。

 

南太平洋に面するリゾート~パラカスでの休息

リマの美しい海岸を右に見て、市街を抜けると砂漠になる。3~4時間走って海沿いのリゾート地パラカスに夜9時半に到着、翌日はナスカの地上絵を見るために9時出発というハードスケジュールだった。しかし有難いことに、遊覧飛行の便が遅くなり出発が10時半に変更~海辺で遊べる時間ができた。北海道斜里郡清里町で50ha大規模農業を経営する河崎さんから「仁科さん、カヌーを教えてくれ」と言われ、「よし、やりましょう」と静かな海に漕ぎ出した。朝散歩した時にスカールを漕ぐ人を見て、懐かしい想いが湧いていた。河崎さんは私がボート部出身だと話したことを思い出したらしい、カヌーは知らないというのも癪~初めて挑戦する羽目になった。このカヌーが安全で良く走る優れもの、ミズスマシのように海面をクルクル、クルクル~一本のオールで自由自在に操れる。ほんの30分だったが、海に出て汗をかき、あがった後プールで体のほてりを冷やす・・・身体がシャキッとし、旅の疲れをとってくれた。

アンデス山脈でコンドルの飛翔を!

時々目にするアンデス山脈5000m級の山並みは雲に覆われていることが多いが、時々見せる頂上は真夏ながら真っ白な雪に覆われ、その下の黒緑の岩部が膨らんで我々に覆いかぶさってくるように見える。 迫力満点、「これでコンドルが飛んでいたら言うことなしだ~」とつぶやいたら、ガイドの森田さんが「保護されたコンドルでも見たいですか」との問い、もちろん「Ye~s!」。傷ついたアルパカ・コンドル・ピューマ等の保護センター訪問と相成った。コンドルは羽を広げると2m近い。これがアンデス山脈の大空を舞っていたら・・・・・

陽が射しはじめたら羽を広げ、日光浴を始めた

 

何でこんなところに遺跡が~マチュピチュ

インカ帝国の遺跡、マチュピチュをたずねた。エジプトと匹敵する紀元前の遺跡と思いきや、16世紀の代物だそうだ。TVや旅行雑誌で見たイメージとはかなり違う。山岳列車と思っていたがアンデス川支流ウルバンバ川沿いのブルートレイン、帰りの汽車の中ではお土産のアルパカ衣装のファッションショウ、花売り婆さんの出現、商魂が実にたくましい。「アンデスの山奥でさぞや素朴だろう」という勝手なイメージは吹き飛ばされてしまった。遺跡への道が到着直前に土砂崩れで寸断され、遺跡まで行けるか分らないという。翌日徒歩で現場を通過、予定より4時間遅れたが、マチュピチュ遺跡を見学できてほっとした。海抜2400mのアンデス山中に何で石積みで水路もある立派な空中都市ができたのだろう。この遺跡はハイラム・ビンガムという米国の探検家が1911年に発見し、20世紀最大の考古学的業績と高く評価されたとか。マチュピチュだけでなく、ここに至る峰々には大小の遺跡があるそうだ。15世紀、ペルーはスペインの騎馬隊と鉄砲で侵略され、インカ帝国は山奥に逃げ込んだ由・・・好天に恵まれ遺跡の後ろにそびえるワイナピチュ山もくっきり、眼下はるか下にウルバンガ川が見える。楽しく見学していたが、突如腹痛に見舞われ、脂汗を流しつつ入口のレストランに駆け込み難を逃れた(前日のアルパカ生肉のマリネにあたったようだ)。楽しみにしていた遺跡入口の「太陽の門」に登るのを断念。マチュピチュ村~アグアス・カリエンテスは「熱い水」と言う意味で、温泉が出るという。ここに2連泊、海パンを持参し楽しみにしていたが、33~35度で30分入っていても暖まらないと聞いてやめ、タウンウオッチングを楽しむことにした。

左下はウルバンバ川、右後方がワイナピチュ山  4枚目:ワイナプチュ山をよし、よし                                                

                                                                                   

憧れのモルフォ蝶と遭遇

長いことモルフォ蝶の飛翔を見たいと思っていた。朝から様々な美しい蝶々が飛んでいるのを見て、ひょっとすると実現するかもと思っていたら、お昼前に猿やマングースが顔を出す林道の左側から右に抜けるように1匹だけ飛んでゆく姿を見ることができた。アゲハチョウより一まわり大きいブルーの蝶々、2~3秒のことだが感激~妻も大感激。下の標本を見て戴きたい~こんな蝶々が群舞する姿が見られたらどんなに幸せか・・・欲がどんどん膨らみガイドの松尾さんに訊ねるとボートツアーに行く密林で良く見かけるという。期待に胸を膨らませたが、夕立に見舞われてアウト!

                   モルフォ蝶の標本

名前不明、綺麗に撮れました

モルフォ蝶の仲間か?

憧れのイグアスの滝へ

40年前、64歳のお袋が兄貴家族の手伝いにサンパウロへ。ついでに1人で夜行バスに揺られてイグアスの滝を見に行ったという武勇伝を聞いたのは何年前だっただろうか。冥途の土産にしたいと長年思い続けてきたが、妻が重たい腰を上げてくれてようやく実現。ほっとするとともに大いに感謝!羽田を出発して3日目の夕方にようやく到着、いや~、実に遠かった!言葉では言い現せない想像以上の迫力~写真をご覧いただきたい。

ブラジル川の「悪魔の喉笛」

下はアルゼンチン側、滝のすぐ横から、滝の音で話は聞こえない。はるか左上が上の悪魔の喉笛のところ、写真は下手だが迫力は伝わってくるのではなかろうか。

アルゼンチン側、階段を下りた滝のすぐ横では台風の中にいるよう、水も滴る良い男女?ボートツアーではゴムボートで滝の中に突っ込んでゆく。見上げても目を開けられない。「うわ~っ!」「うお~っ!」と雄叫びを発しつつ、全身びしょ濡れになって地球の・大地の・水のエネルギーを体中に受け入れた。

2014年元旦はチュッタさんの7年ぶり大ご馳走

妻のお袋さんをチュッタと呼ぶ。孫が小さい時にそう呼んだのが可愛くて、そのまま続いている。このチュッタさんが料理の名人、家族全員がお正月を心待ちしその料理に大喜びするが、齢84歳。この数年は持ち回りとしていたが、今年はチュッタさんの番。7年ぶりと聞いた。下のテーブルをご覧いただきたい~伊達巻・黒豆・かずの子・田作り・蟹の爪・煮物・鳥足の煮つけ・スペアリブ・テリーヌ・・・・何を口にしても「うめ~っ!」の連発だ。一品一品に時間と労力がかかり、何よりも愛情が一杯だ。伊達巻は手作り、かずの子はつけ汁に3日間つけるが一日ごとにつけ汁を新しいものに取り換えるそうだ。田作りにはクルミやアーモンドをくだいて入れてあるのが何とも香ばしい。蟹の爪は奪い合い、最後はジャンケンとなる。肉類にも他では味わえないコクがしみ込んでいる。ここには映っていないが、お赤飯としじみ汁で締め~これが何とも言いようがないほど「うめ~っ!」、幸せ一杯のお正月元旦でした。チュッタさん、有難うございました。

 

うっすら雪景色の浅間山

 1年間頑張ったご褒美に初冬の軽井沢へ、習い始めたゴルフの特訓もかねて妻が好きな軽井沢行だ。寒いのに良くやったねと感心されたが、カート・昼食付で1R1人4980円と言ったら納得された。少々寒くても我慢できようと言うもの。浅間山が実に美しい、夏にはこんなに澄んだ浅間山は滅多に見られない。頂上近辺にうっすら雪をかぶっている。昨年9月に登ったが、一度登った山は見え方が違う~親しみと言うか、いとおしさを感じるのだ。つらかった場所や山小屋の人、出会った野鳥やかもしかが思い浮かぶ。1日目は軽井沢プリンスH晴山コーズ、妻が3番ミドルコースの真ん中でアプローチショットをした・・・えっ!コースガイドの旗をピンと間違えたようだ。私は腹を抱えて笑ったが、妻は大まじめ・・・「まぎらしい物を立てないで!」と怒っている。2日目は軽井沢72のWESTコース、前日とは違う距離のある本格的なコースで難しい。妻は練習場で打つ球が中々でない。今まではラフに入っても、フェアウェーに戻して打っていたが、今回はインチキなしでカウントした~139でラウンドし、念願のハーフ70が切れた。 めでたし、めでたし! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酉の市

11月15日、金刀比羅大鷲神社に孫を連れてお参りしてきた。お酉様の熊手は福運をかき集める縁起が喜ばれ大賑わいだ。この1年間守ってくれた熊手に感謝、神社に参拝してから、ごったがえしている夜店を楽しみながら今年の熊手を購入。「家内安全、商売繁盛、祈願成就、よ~おッ!よ、よ、よ、よ!よ、よ、よ、よ!よ、よ、よのよ!よ~おッ!」1000円お祝儀を出したら2回繰り返してくれた。これが何故か非常に気持が良い~これから1年、また良いことがたくさんあるような明るい気持になる。孫に水笛を買ってやり、帰路についた。

我が家の休みは金曜日

FPの仕事は土日に仕事が多く、休めるのは金曜日と月曜日が多い。妻は金曜日を親孝行の日と決めていて藤沢鵠沼に行くことが多いので、小生も便乗し、鎌倉プリンスホテルのゴルフ練習場でプロレッスンを受けることにした。広々とした打ちっぱなしで気持が良い。嬉しいのは天気が良いと様々な蝶々が飛んでくることだ。キアゲハ・モンシロチョウ・キチョウ・ベニシジミ・ヤマトシジミ・ハナセセリ等々、芝生に転がっているボールにとまる奴もいる。その日はヒョウモンチョウが来て、ボールの上で羽を広げていた、見るだけで心が休まる。おまけに信じられないだろうが、珍しい雁行を見ることができた。V字になって海の方向に飛んでいた。今の季節どこへ向かうのか、雁ではないのか・・・残念ながら写真を撮ったが逆光で写らなかった。帰り七里ヶ浜から江の島と富士山を望む景色は相変わらず美しく気持を和ませてくれる風景だ。 

   

雨飾山

白馬の先、小谷温泉の雨飾荘は山深い秘湯の一つだ。この山奥まで舗装道路があるの有難いが、税金の無駄使いのような気もする。3年前に計画したが、天候が悪く断念。何か心惹かれる名前の山である。本には雨乞いのために山頂に祭壇を飾って降雨祈願をしたことから名前をつけられたと記されていた。川のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら、登り始める。6時に出発し、荒菅沢へ8時に到着。沢の冷たい水で顔を洗い、火打山・高妻山・戸隠方面の眺望を楽しみながらの朝飯はうまい~登山冥利だ。1時間半の急登を頑張って笹平に着いたら雨飾山は目の前、曇天で時々雲を被るがすぐ現われてくれる。晴天より名前にあった風景だと思った。この季節はミヤマトリカブトやアザミが美しい。頂上でお湯を沸かし食べるインスタントラーメンの美味しいこと!下山し遊歩道傍らの巾1mほどの淵にイワナが2匹、30㎝のクラスが悠々と泳いでいる。日本にまだこういう自然が残されていることに感動~ほっと一息だ!

山は怖ろしい~3つのほっと一息

中央アルプスの千畳敷から檜尾山・熊沢岳・川東岳を越えて空木岳へ~生命の危険を感じたのは初めての経験だ。                   「ほっと一息」1つ目は木曽殿小屋が見えた時だ。予約時に「16時半には必ず着くように」と言われたが、思いの外きびしいルートで辿りついたのは夕方5時。 空木岳への急な登り口の鞍部に小屋の屋根が見えた時は嬉しかった。千畳敷から3つのピークを越えるごとに岩登りのような所が3カ所あり、男より手足が短く腕力の弱い妻がそこを超えるのに手間取った。掴むと良い石に手が届かない、足を掛ければよい石が5㎝上にある。今まではほっとけば少し遅れてもついてきたが、今回は「どうしたら良いの?」と必死な声で呼び止める。確かに上から見ると、足がすくむ岩場だ、でも良く頑張った・・・女性登山家田部井敦子さんが「かなり大変。慣れてから行くべき山」と書いていた。                                                     

2つ目~天気予報では「9時から雨」というのに夜中から相当強い風と雨の音がする。山小屋は8時消灯、何時かは分らないが皆不安なのだろう、うなされたのか女性が悲鳴を上げた。熟睡できずに4時起床、小屋の主人が食堂に現れて「空木岳までは檜尾ルートより厳しい岩登りが3カ所あるから気をつけろ」とにわか講座。不安が募る・・・外へ出ると横殴りの風に雨で寒いことこの上ない、最悪の条件だ・・・妻が越えられるか。彼女も不安だったのだろう、ツーリストのガイドに同行させてくれと頼むも断られた由。昨日追い越された1人登山の若者(下の写真、左端の額賀さん)と目が合い、思い切って「同行してくれない?」と頼んだら快諾してくれたそうだ。日本アルプスをほぼ登りつくし、百名山残り20弱の夫を信頼できないのかと腹立たしく思う反面、こんなにほっとしたことはなかった。何かあった時に若者が一緒にいてくれれば助かる、不安感が消え安心感がじわ~っとふくらんだ。 

       

3つ目~5時半に出発、登り始めたとたんに右からの強風で帽子が飛びそうになり、リュックカバーがはずれて耳元でバタバタとうるさい。左手で帽子を押さえ、右手で杖を突いて一歩々々足元をかため、腰を落としながら登ってゆく。念仏を唱えたい心境だ。歩きながら雨具のフードの紐を強く絞めたら、左手を自由に使えるようになった。次にすぐ外れるリュックカバーを背中とリュックの間に押し込んだら静かになり余裕ができた。山小屋の親父から脅かされた難所3つを妻も無事クリア。視界がきかないので昨日のような恐怖心が湧かないのが幸いしたのか、夢中で歩いていたら、7時半に空木岳頂上に到着。百名山83山を達成、握手をし写真を撮るも風雨で写真は幽霊のようだ(下の左側)。頂上からの下り、風は後ろからとなり格段に楽になった。残るは大地獄・子地獄の難所、森林帯に入り気持も楽になって1時間、鎖場があらわれた。檜尾ルートや空木岳登りの難所に比べればしっかりした鎖がついて全く問題なし。名前に怯えていた感があったが、ここを無事に通過してほっと一息!                駒ヶ根の湯・・・びしょびしょの衣服を脱いで暖かい湯をかぶり、手足を伸ばして温泉につかる歓びはひとしおであった。山の神に深謝。

   

盆休みは家でのんびり~

例年盆休みはどこにも行かないことにしている。渋滞にはまり、思い切り高い宿泊費を取られ、人波にもまれるバケーションは好まない。今日も炎天下では40度を超えるとか、家の中でクーラーをつけて高校野球をTV観戦したり、書類をかたずけたり・・・家内は孫を連れて遊園地へ出かけ、夜は盆踊りを見せるとか・・・静かな我が家が一番。一夜、夏組のお誕生日祝い(8~9月生れが3人)で鎌倉プリンスホテルのサマーバイキングに家族連れで行ってきた・・・家内の両親と息子夫婦・孫を入れて総勢8人、4歳未満は無料とのこと、幼児ながら良く飲み良く食べる孫2人分は大得をした気分だが、75歳以上の後期高齢者向け割引はないものか・・・・・^^。 おさな子の笑顔と泣き顔は宝物だ。                          

     4世代が集合、鎌プリのバイキング                盆踊り会場での孫娘

シマフクロウ

下山後の温泉は格別だ。この養老牛温泉の露天風呂はイワナやヤマメが釣れる川に面しており、川まで裸のまま行ける。昔、TVでシマフクロウが来る温泉宿の放映があり、一度行ってみたいと憧れた温泉だ。 山を下り、温泉から上がった後のビールは格別うまい、イカあり、カニあり、大ご馳走の食事を終えた8時半ごろ、シマフクロウが屋根の上にとまっているという。暫くすると庭の小さな流れの傍らに降りてきた。我々の部屋の真ん前だ。ご主人の話ではバードウオッチャーが30人来た時はとうとう姿を見せなかったそうだ。眼力が強すぎたのか・・・と笑っていたが、我々は運良く今回の旅行の目的、斜里岳登頂とシマフクロウを2つとも達成することができた。電気を消し窓を開けて観察する。体長は70cm程、時々首をクルッと回して周囲を睨めつける。首が180度回る感じだ。目が合ったが、知らんぷりをする。待つこと30分、いや60分・・・大きな羽を広げて流れの中にジャンプイン、見事に足でヤマメをとらえ、あっという間に呑み込んだ。羽を広げた姿は1.5mあるだろうか・・・貫録十分、ゆっくり見えながら素早い動きに感心する。 暫くするともう1羽降りてきた。彼は3回ジャンプインするがすべて失敗、足元にヤマメは見られない。10時半まで眠い目をこすりながら頑張ったが、成功を見ないうちにダウンしてしまった。翌朝ご主人に聞いたところ、つがいのオスでイタチに襲われ片目が傷ついているとのこと、でも厳冬を乗り越えて生きていると聞いてほっとした。

さくらの滝

山を降りてきて疲れてはいるが、自然探索をぬかるわけにはいかない。ロッジの山下さんが教えてくれたサケの堰堤越えジャンプを見に「さくらの滝」へ。オホーツク海へ北に向けて流れる斜里川の上流、40~50cmのサケが身の丈の数倍もある高さを飛び越えて上流へ行こうと必死にジャンプをしている。中々見られない光景だ。我が家のデジカメはシャッターの反応が遅くて撮れない。めくらめっぽうシャッターを押して何とか写れたのが下の写真。30分滞在中に上流へ行けたサケは見られず、家内は「どうなるの」としきりに心配している。不思議なことに夕方しか飛ばないと聞いた。本当に上流に行きたい奴は水の中を滝登りするんだと解説したら、ほっとした顔をしていたが・・・^^?                                                            養老牛(ヨウロウシ)温泉に向けて車で10分も走り裏摩周の峠を越えると川は今までと反対側、南西に流れている。養老牛温泉は昔アイヌ人が利用していた川沿いの露天温泉だったそうだ。アイヌの交通手段は川が中心だった由。アイヌ語で川を「別」と言うのだそうだ。江別・厚別・幌別など北海道には「別」がつく地名が多いのは「川」からくるそうだ。現在は車であっという間に峠を越えて来たが、アイヌ人はどうしたのだろうか等と話しながら、養老牛温泉の「藤や」へ18時に到着。

 

 

斜里岳

5時起床、登山口の清岳荘駐車場でおにぎりを食べて6時半出発。出発して20分もしたら沢渡りがはじまった。沢は広いところで巾4~5mだが、深みに落ちないように石を選んでわたって行く。すぐ下が小さいが滝になっていたり結構スリリングだ。雪渓もあり、水は冷たい。こんな登山は初めて、50mほどはある滝の横を手も使って安全を確保しながらロッククライミングしたり、緊張の連続が2時間半以上続いただろうか。沢登りが終り、馬の背に着いたときはほっとした。11時に頂上着、82山達成の握手!。残念ながら視界不良、1時間粘ったがオホーツク海や羅臼岳を見ることはできなかった。                                                                                 斜里岳の下り、新道の熊見峠からの下りは長い急坂で良く滑る、足元を気にしていると頭を木の枝にぶつけて痛いこと、老骨にはかなりこたえた。頂上近くで知合ったヤングカプルは1mほどの段差をす~っとしゃがんで、両手を地面につきポ~ンと飛ぶように降りてゆく。若者のしなやかな動きは見ていて気持が良い。帰りの下二股からの沢歩きは1時間ほど、行きと違い慣れたのか多少深いところもジャブジャブと楽しむ。9.5時間の長丁場で16時に出発点の清岳荘に辿りつき、ハイタッチ。山登り、至極の瞬間だ。

むぎと斜里岳

本年初の百名山登山に斜里岳を選んだ。4年前羅臼岳登山の時に計画したが、足を痛めて断念した山が道東に一つだけ残っている。千歳からは遠いし、女満別空港なら便利だが人気空港でシニア旅割では難しい。シニア旅割は片道12,000円で北海道へ飛べるが、予約は許されない。「席が空いていれば安く乗せてあげますよ、老人は暇でしょう、空いている時にいらっしゃい」という代物だ。家内が”穴”路線を見つけた、中標津便はいつも〇がついているという。しかし中標津便は昼間1日1便のみ、帰りの羽田行きは14時35分発。斜里岳のコースタイムは7時間、休憩を入れると9時間か~、早朝4時に出発しても空港に14時に着くのは難しい。「2泊しないければならず高くつくが、たまには良かろう」とあいなった。斜里岳のふもと清里町にある「ロッジ風景画」という宿に16時着、周囲には麦やじゃがいも畑が広がり、家が遠くに1~2軒見えるだけの緑一色の中、ロッジの愛犬「むぎ」を連れて散歩に・・・未舗装の道が足にやさしく、明日挑戦する斜里岳が美しい。オーナーの山下さんは斜里岳のガイド兼管理人、懇切丁寧に斜里岳登山の注意点を伝授してくれた。

一面の麦畑と斜里岳

                    愛犬「むぎ」ちゃん、後ろはじゃがいも畑

「Mark is みなとみらい」がオ~プン

昨年9月末でジャックモールが閉店になり、みなとみらいの住民約9000人は不便をかこっていた。街から電気店、洋服店、薬屋、文具店、運動具店、写真屋、靴屋、おもちゃ屋、等々のお店がなくなったのだから不便この上なかった。漸く6月21日(金)から「Markis みなとみらい」が店開きをした。 週末は大変な混みようで、住民そっちのけの賑わいだが、そのうち落着くだろう。黒っぽいスーツにブルーのネクタイをした若者がお店のガイドをしている。何でこんなに呼びにくい名前なのか、何か意味があるのかと聞いても、明快には答えてくれない・・・マニュアルをあちこち探して造語であることは分かったが「ランドマークのMarkではないでしょうか」とか意味不明だ。横浜駅東口の「Bay Quarter」は船をイメージしたユニークなショッピング街だが、「Markis」も早くみなとみらいの街に馴染み、便利な良い店が増えることを期待したい。

横浜開港記念の花火大会

毎年6月第一土曜日に開催される花火が今年は実施されず、緊縮財政の影響かと思っていたところ、9日(日)夜8時を過ぎてにド~ンと鳴ってほっと一息!聞くところではアフリカ会議・アフリカ展で1週間ずれたそうだ。今年は花火打上げの台船が少しベイブリッジ方向にずれて、我が家のベランダからは見難いくなってしまった。それではと孫を連れて屋上へ~屋上の花火は響きがなく楽しさが半減する。今まで見た花火で最高だったのは鎌倉の花火だ。花火のド~ンという音が周りの山にこだまして、響きが体に伝わってくる。 海中に投下される花火は海面から美しい様々な光を半円で放つと共に海底を伝わって砂浜へ振動を伝える。尻の下からズシ~ンと迫力が伝わってくるのだ。ビルの上ではその響きがないのが残念、しかし初夏の花火を孫娘と楽しめるのは幸せだ。

神奈川県FP協同組合(KFP)理事長を退任

5月末の総会で6年間つとめた理事長を退任。翌日からのんびり過ごし、ほっと一息どころか大安息の気分である・・・私が住んでいるみなとみらいではアフリカ会議やアフリカ展が催され、天皇陛下も来られて通行止めの騒ぎも・・・。ランドマーク・クイーンズ・デパートを歩くと大勢のアフリカ人に会い、別世界の観がある。気持に余裕が生まれると色々なことに気が付く・・・カワラヒワがさえずっていたり、道端の雑草の中にカタバミの黄色い花に交じってかわいらしいツクバハゼの紫色の花が見られる。面白い形の花弁で好きな野草の一つだ。梅雨とは思えない快晴で風が心地よい一日だった。「KFPを大過なく退任」と言いたいところだが、昨年は売上が大幅にダウンし創立以来2度目の大ピンチに陥った。組合幹部や組合員全員の協力で何とか黒字経営を維持し、新任の土井健司氏にバトンタッチ。変化は進歩~新たな展開・発展を望みたい。

 

矢口さんの結婚式

渋谷にある私の賃貸マンションに3年前に入居してくれた矢口さんの結婚式に招待された。親しくなったきっかけは2年前の3.11である。当日お昼から新宿で催された恩師を囲んだ飲み会に参加し帰宅難民になってしまった私を助けてくれた時から、お付き合いが深まった。矢口さんは20歳代ながらIT企業(株)デイブレイクを起業し社長を務めている。マンションを事務所として使うに当たって社員の紹介のために横浜まで来てくれたり、礼節をわきまえた実に誠実な素晴らしい若者である。結婚式で主賓としての祝辞を引受けたが、若者の一生に一度の大切なセレモニーで、久しぶりに緊張をした。結婚式での祝辞は20数年ぶりだろうか、大過なく無事終了。帰宅してソファにくつろいだ時は、これぞまさに「ほっと一息」であった。帰りに「『夫婦喧嘩は橋づくり』は良かったですね~」と2~3人の若者から声をかけられたのは嬉しかった。

元町で懐かしい人と再会。

連休最終日には家内とみなとみらい臨海公園から海沿いを歩き、赤レンガ・山下公園を通って元町へ出かけた。2人でゆっくり散歩ができたのは何か月ぶりだろうか。家内が克美さんに電話しようと言いだして、運良く繋がり何年振りかで再会(左側写真の右端、美人でしょう?細く見えるように写真を縦長にセットしたけど~・・・^^)。彼女は眼医者さんの奥様だが、やり手でタイ式マッサージ店を元町で経営している。ご主人様には家内の両親が大変にお世話になった(深謝)。本人はマッサージを施すわけではなく、暇を持て余し気味、右側写真のような装飾店で油を売っていた。お蔭で家内が長いこと希望していたアンティークのペアーの指輪を買うはめに・・・連休に泊りがけで出かけるよりは安上がりだったが・・・

 友人の克美さん(右端)とお店の社長さん(前列左側)            元町裏通りの装飾店、                       

連休はのんびり地元で散歩三昧

連休後半は好天気に恵まれ、みなとみらいや赤煉瓦倉庫、山下公園は家族ずれで大賑わいだった。大桟橋には豪華客船が入港、美しい船体を見せ旅情を掻き立てていた。家内は船酔いが強く、全く魅力を感じないらしい。みなとみらいや山下公園では大道芸を囲んで人の輪が作られ、拍手喝采。毎日1時間ほど散策。

     山下公園での大道芸・・・パパが参加           豪華客船 サンフラワー号(?)

 

鷹寿会に参加、ゴルフをエンジョイ。

スキーシーズンが終り、ゴルフと登山の季節が到来。4月26日(金)は本年初ゴルフ、ホームグラウンド鷹の台CCの鷹寿会に参加した。参加者は75歳以上の会員~昨日の成績は参加34人中15位、飛び賞を貰え半年ぶりとしては上出来であった。晴天下、新緑が美しく蝶々が舞い小鳥のさえずりが心地よい、気持ちが良い一日であった。同じ組の吉田先生(お医者さん)は今年80歳になり杖をつきながら、良く飛ばす。80歳以上の人にオーバードライブされたのにはショックを受けたが、ハンデ13と聞いて脱帽。どうすれば負けないか、練習に励もうという気持が湧いて来た。まずは筋トレから始めなければ^^・・・この倶楽部はお年寄りが多い。80歳以上の人がたくさんいて、85歳以上の人は敢闘賞をもらえるのが微笑ましい。最長老は89歳、青柳さんという鉄鋼会社の社長さん、52年前に死んだ私の父親を覚えていてくれた。こういう元気な長老とゴルフを共にすると「自分も90歳まで頑張ろう」という気持が湧いてくる。元気をもらえるのが素晴らしい。自然を満喫し、運動をし、人との交わりを楽しめた初ゴルフでした。

 日本のスキー場もすてたものではない!

2月末に北海道ニセコにスキー行、期限切れとなるマイルが2万マイル分あることが判明し、「スキーはこわい、忙しい」と渋る家内を口説いて強行、あいにくの天候でニセコアンヌプリも羊蹄山も見えず、視界10mをきるひどいミルキー状況もあったが、それなりにエンジョイ。ニセコは外国人スキーヤーが多く、海外にいるかと錯覚するほど~ゴンドラの中で話した外人は南アフリカから3週間のバケーションで来た由、ドバイ乗り継ぎで片道4日間かかる由。ニセコ情報をどうやって入手するのか聞くと、インターネットで「スキ-、パウダースノウ、アジア、アメリカ等」で検索したそうである。ホテルで聞くと最近はオーストラリアからだけでなく、フランス人も多くなったとか。景色、山容が違うが外国のスキー場にいるのと差を感じない。確かに雪が軽い、1000mたらずの標高でありながら温度が低く、西からの雲がいくつも山を越えるため水分が減り粉雪になるのだそうだ。夜間に雪が降ると翌朝は快適な新雪を楽しめる。チロルはアイスバーンが多かった、人工雪も降らせていた。ニセコなら費用もヨーロッパスキーの5分の1ですむ。すてたものではないどころか、「灯台下暗し」か・・・

 

 ((

チロルでのスキー(珍道中&天国)                                                                           

2日目は高曇り、朝9時1番のロープウェーでWhite‐Ring‐Lech(Lech⇒Tur⇒Tug⇒Lech)コースに挑戦、K君がどうしても入口を通過できない~何年分のリフト券が悪さをしている由。こんなことでめげるT君ではない、ダウンヒルでは真っ先に滑り出す。しかしコースを外れて新雪に突っ込み転倒することしきり、転倒すると中々立ち上がれないのは歳のせいか?私も一度新雪に突っ込んでひっくり返ったが、これが一番疲れる。 T君は白馬の黒菱小屋からゴンドラまで友人のスキー2人分を担いでストックも使わずにあっという間に滑り降りた達人~畏敬の念を抱いていたが、我々の域に近ずいてくれて親しみが増した。足腰の強いK君も1回アッと言ったとたんに左足を空中高く上げてすっ飛んだが、若いS君は最後まで1回も転ばなかった。全員怪我がなかったのが何よりだ。 3日目以降は晴天、サンアントン(St.Anton)まで足を延ばし、ロープウェーでMt.Valluga(2811m)の頂上直下の展望台へ。東西南北に連なるヨーロッパアルプスの2,500~3,000m級の白い峰々は筆舌しがたい美しい眺めだった。私には初めての眺め、日本の山とは形容が違う、近くで見るとゴツゴツした岩峰が空に向かって突っ立ていたり、巨大な岩塊がオーバーハングして迫ってきたり、雪もついていないダークグレーの岩山だ。遠くの山々は白一色、西側に1ヶ所だけ雲海が谷間を覆っている。それらを眺めながらの一服は天国だ。私は飲まないが、仲間は良く飲む、ビールがおいしそうだ。 (2013年2月10日 )

                              

 

チロルでのスキー(後期高齢者の珍道中)                                                               小・中・高校の同級生3人は昨年から後期高齢者、6歳若い唯一60歳代のS君を加えた4人でのスキー行。S君はT君の後輩、居合い抜きの名人とか。まずはWiena入国時、建築構造の大家T君が出てこない~扉越しに探すと鞄をあけたりポケットを探ったり・・・待つこと30分、パスポートが見つからず飛行機の座席を見てもらって漸く発見したとのこと~強制送還の憂き目は逃れた。インスブルックに到着、予約していたタクシーが来ていない~リーダーのK君が電話をするとこれから行くとのこと、約束の19時を過ぎても来ないので、丁度来たワゴンタクシーに鞍替え~この対応力はたいしたものだ。K君は元バスケットの全日本代表選手、昭和30年代から海外遠征をしていたことを思い出した。ヒヤリングが良いようだ、しゃべる英語はそう変わらない気がするが、的確に聞けている点が心強い。T君も若い時から学会等で世界中を飛び回っていたらしい、2人が一緒にやっているからこちらは何の心配もない。今回のスキー行はK君がインターネットで飛行機・宿・タクシー等全て調べてくれて予約をしてくれた。10日間の費用は運賃・宿泊・食事・酒・アイスクリーム・リフト代も入れて27万円、宿はアパルトメントを1週間単位で借りる。3LDK、料理もK君がしてくれる。私はT君と同室、彼は時差で夜中どうしても目が覚める由、毎晩ウィスキーを持ってトイレで文芸春秋を読み耽ったそうだ。 Wienaの宿ではダブルベッドしかなかった、野郎とダブルベッドに入る気はしないので、ベッドの片側を外してリビングで寝る有様。これも一興。                                                                                 スキー初日、午前中は雲がたれこめていてLECHのTownWatchingと買出しに。午後は待望のSkiing、しかし1本滑ったらK君が「上がる」と宣言、こんなアイスバーンでは滑らないとのこと、拍子抜けを否めない。帰宿して囲碁対戦、碁盤と石を持参した甲斐があったというものだ。K君とは昔から好敵手、6日間の勝負は互先で17番、9勝8敗だった。昼はスキー、早目に上がって囲碁対戦が6日間続いた。こんなに楽しいスキー行はない。これぞ高齢者スキーのニューモデルでは・・・? 。(2013年2月4日 続)

                                       

  

チロルでのスキー                                                                                    今シーズン初めてのスキー。私の最も好きな趣味はスキー・・・・・冷たい風を頬に受けて雪で覆われたゲレンデを滑り降りるスピード感は何にも変えがたい快感がある。老躯が20年以上も若返り、ヤッホーと大声を張り上げたくなる歓びが体の中から湧き上がってくるのだ。長年ヨーロッパ本場でのスキーに憧れていたが、友人からの誘いで初めて実現した。オーストリアのLECHに行くというのだ。成田をたって11.5時間で ウィーンへ、チロル航空に乗り換えて1時間のフライト、インスブルックから車で1.5時間、待ち時間を入れると17時間かかって夜のLECHに到着。オレンジ色の街燈や家の灯りが道の両側と山間に点在してロマンティックな雰囲気だ。想像していたヨーロッパの田舎町チロルとはこんなところか・・・・・しかしチロルは州の名前だった。州都インスブルック、LECHの町そのものはチロル州から西にはずれたArlberg州にある。  Lechスキー場は標高1700m、町の両側にゴンドラやリフトが何本も山の上まで伸びて志賀高原に似ているだろうか。バスで10分ほど東へ走るとツール(Zur)というスキー場があり、更に東へ10分ほどでサンアントン(St.Anton)という大きなスキー場がある。志賀・白馬・蔵王を3つ合わせたスキー場というのが一番近いイメージだと思う。本場の雪はサラサラと思いきや、アイスバーンあり、コブあり、日本と大きな差はなかった。印象が深かったのは3つ、雄大な眺めと老夫婦のスキーヤーが多かったことに加えて町の美しさだ。(2013年2月2日 続)  

                                                                

                          

 

           

 

 

 

                                                  



ほっと一息 (その1)

滑って転んで大分県                                                                             お正月3が日は箱根駅伝ドラマを楽しむうちにあっという間に過ぎてしまいました。今日は孫がスケートをしているとの電話で、赤レンガのスケート場へ。老いもヤングも子どもも楽しそうに滑っているのを見て、「昔とったきねずか」とリンクに出たとたんにツルッと~すべってころんでおおいたけん~目から火花でした。孫と神さん(元フィギュア選手)に手を引かれてつるつると、50数年ぶりの初滑りを楽しみました。歳はとりたくないものです。(2013年1月4日)     


ニュース

2014年05月23日 19:01

人口50年後に1億人維持 政府が初の目標 少子化に対応 予算、子育て世代に

政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」との中長期の国家目標を設けることを明らかにした。日本の人口はこのままでは60年後に8600万人まで減る見通しのため、20年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減に歯止めをかける。高齢者に手厚い予算配分を現役子育て世代に移し、経済・社会改革を進められるかが課題になる。政府の経済財政諮問会議の下に置いた「選択する未来」委員会が提言し、6月にまとめる経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)に盛り込む。「20年ごろを節目に経済社会システムを大きく変える」と明記、一連の改革は今後5年間程度で集中的に具体策を検討し、実施する方針を示す。(日経5月

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2014年01月31日 22:24

国富、5年ぶり増加 12年末3000兆円、アベノミクス効果

内閣府が発表した2012年度の各民経済計算(確報)によると、土地などの資産から負債を引いた国全体の正味資産(国富)は3000.3兆円となり、小幅ながら5年ぶりに国富が増えた。内訳をみると「家計部門」の正味資産は2232.7兆円で6年ぶりに増加した。国や地方自治体などからなる「一般政府」の資産残高は1092.6兆円であった。国債等負債残高は1131.4兆円だった。バブル崩壊後、国富は減少に転じ、12年末の残高はピークに比べ15%低い水準にある(日経、1月18日) FPコメント:「父さん借金、しっかり母さんが資産を握っている」という図形なのであろうか。

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2013年09月17日 00:41

賃上げ減税2段階 2~3%増の企業も対象

政府・与党は企業の賃上げ意欲が高まるように、給与支給総額の拡大幅に応じて2段階で法人税の税優遇を与える検討に入った。現在は5%以上増やした企業しか減税を受けられないが、14年度から2~3%増えた企業も税優遇を受けられるようにする。賃金の上昇を後押ししてデフレ脱却につなげる狙いだ。賃上げを促す減税制度は13~15年度の時限的な措置として設けた。国内の雇用者に支払った給与総額が基準年度(12年)より5%以上増えた等の条件を満たせば、給与総額の増加分の10%(中小企業は20%)を法人税等から差引ける。新たに2~3%以上の枠を作ることで、段階的な賃上げを促す。新たな枠を2%以上にするか、3%以上にする

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2013年01月24日 17:12

国富、4年連続マイナス

内閣府が発表した国民経済計算(確報)によると土地などの資産から負債を差し引いた国全体の正味資産(国富)は2011年末に前年比0.8%減の2995兆円になった。内訳は家計部門が2195兆円(前年比1.1%減)、非金融法人企業が1020兆円(0.9%減)、一般政府はマイナス8兆円等。国富は国民全体が保有する資産(時価)から負債を差引いた金額。住宅、工場、耐久消費財のほかに森林等も含まれる。地価の下落で2.9%減、一方対外純資産は3.7%増。企業の海外直接投資や銀行の海外向け融資が大幅に伸びた。現在の基準による最大値は2007年末の3158兆円、前年割れは4年連続。 FPコメント:この国富が日本の国

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2012年12月27日 21:35

健康なら全額返金の医療保険が登場

70歳まで健康な人には支払った保険料が全額戻ってくる~TNあんしん生命保険は平成25年1月から入院費用を保証する医療保険で新商品を発売する。例えば70歳までに合計140万円の保険料を払った契約者が入院給付金を20万円受取った場合、差引120万円を受取れるというもの。他社の掛け捨て型に比べると約5割高い(30歳男性で入院給付金が5000円の場合の保険料は月2880円)。70歳で給付金を受取った上で、加入時と同じ保険料を毎月支払えば、契約を継続することもできる。 (日経12月22日) FPコメント:貯蓄機能の高い手軽な医療保険として人気がでるかもしれない。しかし本来の保険商品は「万一こ

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連休は家でのんびり~

早いもので間もなく連休は終り、今年はどこへ行く予定もなく




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